選自《四重奏》最后一集的信。
【文本】
はじめまして
大家好
私は去年の冬、カルテットドーナツホールの演奏を聞いたものです。
我是去年冬天聽過甜甜圈洞四重奏演奏的觀眾。
率直に申し上げ、ひどいステージだと思いました。
恕我直言,我覺得你們的演出很爛。
バランスが取れてない。
配合不協(xié)調(diào)。
ボウイングが合ってない。
運弓方法錯誤。
選曲に一貫性がない。
選曲缺乏連貫性。
というより、ひと言で言って、皆さんには奏者として才能がないと思いました。
總而言之,我認為你們不具備作為演奏著所必需的才能。
世の中に優(yōu)れた音楽が生まれる過程でできた、余計なもの。
你們是世間優(yōu)秀音樂誕生過程中產(chǎn)生的廢物。
皆さんの音楽は煙突から出た煙のようなものです。
你們的音樂就像從煙囪里冒出來的煙一樣。
価値もない。意味もない。
沒有價值。沒有意義。
必要ない。記憶にも殘らない。
無人需要。無人記住。
私は不思議に思いました。
我覺得很不可思議。
この人たち煙のくせに(這里音調(diào)讀錯= =)、何のためにやってるんだろう。
這幾個人明明就是一縷煙,他們是為了什么而演奏的呢。
早く辭めてしまえばいいのに。
不如早點放棄好了。
私は5年前に奏者を辭めました。
五年前我放棄了演奏。
自分が煙であることにいち早く気づいたからです。
因為我早早意識到自己是一縷煙。
自分のしてることの愚かさに気づき、スッパリと辭めました。
意識到自己所做之事的愚蠢,所以果斷放棄了。
正しい選択でした。
那是正確的選擇。
本日またお店を訪ねたのは、皆さんに直接お聞きしたかったからです。
今天之所以再到店里去,是想直接問問大家。
どうしてやめないんですか。
為什么不放棄呢?
煙の分際で 続けることにいったい何の意味があるんだろう。
身為一縷煙,堅持下去的意義在哪里呢?
この疑問は この一年間ずっと私の頭から離れません。
這個問題在我的腦海里盤旋了一年。
教えてください。
請告訴我。
価値はあると思いますか。
你們認為這么做有價值嗎?
意味はあると思いますか。
有意義嗎?
將來があると思いますか。
有未來嗎?
なぜ続けるんですか。
為什么要堅持下去呢?
なぜ辭めないんですか。
為什么不放棄呢?
なぜ?教えてください。お願いします。
為什么?請告訴我。拜托了。