大家好 桃子回歸啦 比心??
想學(xué)日語(yǔ)的寶貝們可以加我微信:TaoZjNaYa
或是私聊我的微博:momobaasann
總有一個(gè)課程符合你學(xué)習(xí)哦
關(guān)注微信號(hào):“新世界日語(yǔ)”了解更多日本熱點(diǎn)跟一些學(xué)習(xí)的資訊吧!
夏目漱石-《心》
朗讀選自林少華譯版
私(わたくし)がその掛茶屋で先生を見た時(shí)は、先生がちょうど著物を脫いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時(shí)反対に濡(ぬ)れた身體(からだ)を風(fēng)に吹かして水から上がって來(lái)た。二人の間(あいだ)には目を遮(さえぎ)る幾多の黒い頭が動(dòng)いていた。特別の事情のない限り、私はついに先生を見逃したかも知れなかった。それほど浜辺が混雑し、それほど私の頭が放漫(ほうまん)であったにもかかわらず、私がすぐ先生を見付け出したのは、先生が一人の西洋人を伴(つ)れていたからである。
その西洋人の優(yōu)れて白い皮膚の色が、掛茶屋へ入るや否(いな)や、すぐ私の注意を惹(ひ)いた。純粋の日本の浴衣(ゆかた)を著ていた彼は、それを床幾(しょうぎ)の上にすぽりと放(ほう)り出したまま、腕組みをして海の方を向いて立っていた。彼は我々の穿(は)く猿股(さるまた)一つの外(ほか)何物も肌に著けていなかった。私にはそれが第一不思議だった。私はその二日前に由井(ゆい)が浜(はま)まで行って、砂の上にしゃがみながら、長(zhǎng)い間西洋人の海へ入る様子を眺(なが)めていた。私の尻(しり)をおろした所は少し小高い丘の上で、そのすぐ傍(わき)がホテルの裏口になっていたので、私の凝(じっ)としている間(あいだ)に、大分(だいぶ)多くの男が塩を浴びに出て來(lái)たが、いずれも胴と腕と股(もも)は出していなかった。女は殊更(ことさら)肉を隠しがちであった。大抵は頭に護(hù)謨製(ゴムせい)の頭巾(ずきん)を被(かぶ)って、海老茶(えびちゃ)や紺(こん)や藍(lán)(あい)の色を波間に浮かしていた。そういう有様を目撃したばかりの私の眼(め)には、猿股一つで済まして皆(みん)なの前に立っているこの西洋人がいかにも珍しく見えた。
彼はやがて自分の傍(わき)を顧みて、そこにこごんでいる日本人に、一言(ひとこと)二言(ふたこと)何(なに)かいった。その日本人は砂の上に落ちた手拭(てぬぐい)を拾い上げているところであったが、それを取り上げるや否や、すぐ頭を包んで、海の方へ歩き出した。その人がすなわち先生であった。
私は単に好奇心のために、並んで浜辺を下りて行く二人の後姿(うしろすがた)を見守っていた。すると彼らは真直(まっすぐ)に波の中に足を踏み込んだ。そうして遠(yuǎn)淺(とおあさ)の磯近(いそちか)くにわいわい騒いでいる多人數(shù)(たにんず)の間(あいだ)を通り抜けて、比較的広々した所へ來(lái)ると、二人とも泳ぎ出した。彼らの頭が小さく見えるまで沖の方へ向いて行った。それから引き返してまた一直線に浜辺まで戻って來(lái)た。掛茶屋へ帰ると、井戸の水も浴びずに、すぐ身體(からだ)を拭(ふ)いて著物を著て、さっさとどこへか行ってしまった。
彼らの出て行った後(あと)、私はやはり元の床幾(しょうぎ)に腰をおろして煙草(タバコ)を吹かしていた。その時(shí)私はぽかんとしながら先生の事を考えた。どうもどこかで見た事のある顔のように思われてならなかった。しかしどうしてもいつどこで會(huì)った人か想(おも)い出せずにしまった。
その時(shí)の私は屈托(くったく)がないというよりむしろ無(wú)聊(ぶりょう)に苦しんでいた。それで翌日(あくるひ)もまた先生に會(huì)った時(shí)刻を見計(jì)らって、わざわざ掛茶屋(かけぢゃや)まで出かけてみた。すると西洋人は來(lái)ないで先生一人麥藁帽(むぎわらぼう)を被(かぶ)ってやって來(lái)た。先生は眼鏡(めがね)をとって臺(tái)の上に置いて、すぐ手拭(てぬぐい)で頭を包んで、すたすた浜を下りて行った。先生が昨日(きのう)のように騒がしい浴客(よくかく)の中を通り抜けて、一人で泳ぎ出した時(shí)、私は急にその後(あと)が追い掛けたくなった。私は淺い水を頭の上まで跳(はね)かして相當(dāng)の深さの所まで來(lái)て、そこから先生を目標(biāo)(めじるし)に抜手(ぬきで)を切った。すると先生は昨日と違って、一種の弧線(こせん)を描(えが)いて、妙な方向から岸の方へ帰り始めた。それで私の目的はついに達(dá)せられなかった。私が陸(おか)へ上がって雫(しずく)の垂れる手を振りながら掛茶屋に入ると、先生はもうちゃんと著物を著て入れ違いに外へ出て行った。